名称 | 今戸神社(いまどじんじゃ) |
---|---|
住所 | 東京都台東区今戸1-5-22 |
タイプ | 神社 |
参考リンク | 今戸神社HP |
ご利益
- 沖田総司の没地には、千駄ヶ谷の植木屋平五郎方と今戸八幡宮の二説ある。
- 招き猫発祥の地。
- 今戸焼発祥の地。
参考文献:『「神社」で読み解く日本史の謎』 河合敦 PHP研究所
- 縁結び。
- 招き猫発祥の地、沖田総司終焉の地とされるが、どちらも諸説ある中の1つ。
- 社務所入口から神社のテーマソング「招き猫音頭」が流れている。
参考文献:『ホラースポット探訪ナビ』 吉田悠軌 学研パブリッシング
- 縁結び。
- 新選組の沖田総司が生涯を終えた場所。
参考文献:『全国パワースポットPERFECT BOOK』 イースト・プレス
- 御祭神は応神天皇、伊弉諾尊、伊弉冉尊、福禄寿。
- 婚活運アップ。
- 平成20年より不定期で「縁結びの会」が開催されている。社務所で登録(無料)し、ホームページ等で開催日を確認し往復はがきで申し込む。費用は6千円程かかる。
参考文献:『ご利益別ピンポイント神社』 マガジンハウス編 マガジンハウス
- ご祭神は応神天皇、イザナギノミコト、イザナミノミコト、福禄寿。
- 縁結びのご利益がある。
- 今戸は招き猫発祥の地といわれる。
- 社務所で地元今戸焼の「良縁招き猫」を授与している(1体3000円)。
- 神主さんは女性の方。
- 男女の出会いの場を提供する「縁結び会」を開催している。参加するには事前に「縁結び会」に登録した上で往復ハガキで申し込む。応募者多数の場合は抽選。これまで多くのカップルが誕生し結婚した人もいるという。
参考文献:『風水パワースポットBOOK』 内川あ也 新星出版社
- 最近縁結びの神社として婚活女性に大人気のスポット。招き猫発祥の地でもある。この神社の招き猫は右手をあげているが、右手は良縁を招くといわれている。ちなみに左手はお金を招く。
- 宮司は女性の姉妹の方で、さらにそのお母さんもいて、気さくに参拝者に話しかけてくれる。
- 「縁結び会」も不定期で開催しており、今までたくさんのカップルをゴールインさせている。
- 社殿脇の招き猫像を携帯の待ち受け画像にすると恋愛が成就するといわれている。
参考文献:『島田秀平と行く! 全国開運パワースポットガイド決定版!!』 島田秀平 講談社
今戸神社へ行ってきました
台東区にある今戸神社にやってまいりました。
境内にあった絵馬掛け。
ぎっしりと絵馬が奉納されてました。
境内は都心にある神社にしては広々してます。
ベンチなども置かれていて、ゆっくりくつろげそうな空間です。
「今土焼発祥之地」と書かれた碑がありました。
今土焼は、かつては江戸を代表する焼き物として繁栄していたそうな。
今戸焼の起源は定かではないそうですが、天正年間に千葉氏の家臣が始めたとか、徳川家康入府後に三河の陶工が今戸に移って来て始めたなどの説があるようです。
隣に「沖田総司終焉之地」と書かれた碑もありました。
新撰組の人ですね。
この土地に住んでいた御典医の松本良順が治療にあたったそうですが、その甲斐なく没したそうな。
こちらが拝殿になります。
御祭神は応神天皇なので八幡様ですね。
他にもイザナギ、イザナミ、福禄寿も祀られています。
脇の方にあった案内板に書かれていた今戸神社の由来を以下に記しておきます。
境内には植木や置物など、色々なものが置いてありました。
女性っぽい趣向が凝らされているなと思いました。
この神社は女性の方が宮司をつとめているそうなので、その方の影響なのでしょう。
社務所に女性の宮司さんが確かにいらっしゃいました。
忙しそうに仕事してましたよ。
↓写真の置物、招き猫よろしくちゃんと右手を上げております。
境内にあった絵馬掛け。
ぎっしりと絵馬が奉納されてました。
境内は都心にある神社にしては広々してます。
ベンチなども置かれていて、ゆっくりくつろげそうな空間です。
「今土焼発祥之地」と書かれた碑がありました。
今土焼は、かつては江戸を代表する焼き物として繁栄していたそうな。
今戸焼の起源は定かではないそうですが、天正年間に千葉氏の家臣が始めたとか、徳川家康入府後に三河の陶工が今戸に移って来て始めたなどの説があるようです。
隣に「沖田総司終焉之地」と書かれた碑もありました。
新撰組の人ですね。
この土地に住んでいた御典医の松本良順が治療にあたったそうですが、その甲斐なく没したそうな。
こちらが拝殿になります。
御祭神は応神天皇なので八幡様ですね。
他にもイザナギ、イザナミ、福禄寿も祀られています。
脇の方にあった案内板に書かれていた今戸神社の由来を以下に記しておきます。
<<今戸神社>>
御祭神
応神天皇
伊弉諾尊・伊弉冉尊
福禄寿
当社は今戸八幡宮と称し、後冷泉天皇の時代康平6年(1063)源頼義、義家父子は勅命に依り奥州の夷賊安太夫安倍貞任(やすだゆうあべのさだとう)、宗任(むねとう)を討伐の折今戸の地に到り、京都の石清水八幡を鎌倉鶴ヶ岡と浅草今津村(現今戸)に勧請しました。
応神天皇の母君神功皇后は新羅を始め三韓親征の際、時恰(あたか)も天皇を宿されその帰路天皇を九州筑紫で誕生されました。
従って応神天皇を別名胎中(たいちゅう)天皇・聖母天皇とも称し、安産子育ての神と崇敬されております。
伊弉諾尊・伊弉冉尊御夫婦の神は加賀の白山比咩神社の御祭神にして、嘉吉元年(1441)千葉介胤直(ちばのすけたねなお)が自分の城内に勧請しました。
諾冉(だくねん)二神は子孫の繁栄を与えられると共に縁結びの神と崇敬されております。
昭和12年今戸八幡と合祀され今戸神社と改称されました。
今戸の地名は古くは武州豊島郡今津村と称し、その後今戸(別字今都)となりました。
御祭神
応神天皇
伊弉諾尊・伊弉冉尊
福禄寿
当社は今戸八幡宮と称し、後冷泉天皇の時代康平6年(1063)源頼義、義家父子は勅命に依り奥州の夷賊安太夫安倍貞任(やすだゆうあべのさだとう)、宗任(むねとう)を討伐の折今戸の地に到り、京都の石清水八幡を鎌倉鶴ヶ岡と浅草今津村(現今戸)に勧請しました。
応神天皇の母君神功皇后は新羅を始め三韓親征の際、時恰(あたか)も天皇を宿されその帰路天皇を九州筑紫で誕生されました。
従って応神天皇を別名胎中(たいちゅう)天皇・聖母天皇とも称し、安産子育ての神と崇敬されております。
伊弉諾尊・伊弉冉尊御夫婦の神は加賀の白山比咩神社の御祭神にして、嘉吉元年(1441)千葉介胤直(ちばのすけたねなお)が自分の城内に勧請しました。
諾冉(だくねん)二神は子孫の繁栄を与えられると共に縁結びの神と崇敬されております。
昭和12年今戸八幡と合祀され今戸神社と改称されました。
今戸の地名は古くは武州豊島郡今津村と称し、その後今戸(別字今都)となりました。
境内には植木や置物など、色々なものが置いてありました。
女性っぽい趣向が凝らされているなと思いました。
この神社は女性の方が宮司をつとめているそうなので、その方の影響なのでしょう。
社務所に女性の宮司さんが確かにいらっしゃいました。
忙しそうに仕事してましたよ。
↓写真の置物、招き猫よろしくちゃんと右手を上げております。