名称 | 小塚原回向院 |
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住所 | 東京都荒川区南千住5丁目 |
タイプ | 寺 |
参考リンク |
ご利益
- 文政5年、下斗米秀之進処刑。弘前藩主・津軽寧親隠居。当時の人々、秀之進を「南部の赤穂浪士」と賞賛。
参考文献:『あなたの知らない岩手県の歴史』 山本博文監修 洋泉社
- 江戸時代、こあたりに小塚原刑場があった。1651年設置。幕末まで約20万人処刑。
- 「小塚原」は「骨ヶ原」に由来するという説あり。
- 南千住駅西側の「山谷通り」は地元では「コツ通り」と呼ばれる。
- この辺は工事などで地面を掘ると人骨が出る。
参考文献:『その土地の人が口を閉ざす日本列島のヤバイ話』 歴史ミステリー研究会編 彩図社
- 杉田玄白ら、刑死体の解剖に立ち会う。これが契機となり『ターヘル・アナトミア』の翻訳開始。安永3年(1774)、『解体新書』刊行。
参考文献:『日本の伝説5 東京』 日本伝説拾遺会監修 教育図書
- 相馬大作(下斗米秀之進)の墓がある。南部藩士。津軽侯狙撃未遂事件を起す。文政5年(1822)、門弟関良助とともに斬首。
参考文献:『日本の伝説1 北海道・東北』 日本伝説拾遺会監修 教育図書
- 本所回向院の末寺。寛文7年(1667)、本所回向院の住職義観上人(ぎかんしょうにん)が建てた寺。
- むかし処刑場だった。約20万人が処刑された。
- 資料館があり刑場関係の品物が保存されている。水戸浪士・吉川忠興が英国人を襲った刀や、首斬り役人・山田浅右衛門が使用した処刑刀などがある。
- 桜田門外の変で井伊直弼を暗殺した水戸浪士、安政の大獄で刑死した人々、2・26事件の首謀者として死刑になった磯部浅一など、政治犯・国事犯の墓がいっぱいある。
- 徒歩3分ほどのところに首切り地蔵(延命地蔵)がある。
参考文献:『日本妖怪巡礼団』 荒俣宏 集英社
- 20万人以上が処刑された地。
- 線路工事の際、大量の人骨が出土した。
- 杉田玄白が『解体新書』作成のため刑死者解剖に立ち会った。
参考文献:『ホラースポット探訪ナビ』 吉田悠軌 学研パブリッシング
- 江戸時代に処刑場があった。約20万人が処刑された。
- そもそも回向院は本所にあって無縁仏を弔う寺だったが、住職の義観が刑死者の菩提を弔うべく幕府に末寺を建てることを願い出、それが許可されて、1667年に寺が建てられた。
- 鼠小僧次郎吉、高橋お伝といった有名犯罪者が葬られている。吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎、桜田門外の変を起こした水戸浪士、2.26事件の首謀者磯部浅一などの墓もある。磯部の怨霊が三島由紀夫に取り憑いたという噂がある。
参考文献:『[図説]日本の魔界地図』 志村有弘監修 PHP研究所
- 資料室に展示されているドクロは、死んでからも晒しもの扱いされて怒っている。
参考文献:『闇の検証 第四巻』 「HONKOWA」編集部編 朝日新聞出版