名称 | 泉岳寺(せんがくじ) |
---|---|
住所 | 東京都港区高輪2-11-1 |
タイプ | 寺 |
参考リンク | 泉岳寺HP |
ご利益
- 近くに高輪橋架道橋下の区道がある。心霊スポット。高輪ゲートウェイ駅開業に伴う周辺再開発で消滅するかも。
参考文献:『ムー』473号 学研
- 近くに興意親王の墓がある。以下、それについて。
- 江戸最古の皇族墓。
- もともとは虎ノ門あたりにあった。1653年に現在地に移転。
- 輪王寺宮墓地、江戸城、興意親王墓は一直線上に並ぶ。江戸城の鬼門封じ。
- 興意親王は江戸結界の人柱。
- 親王と同じ場所でほぼ同時に死んだ水野忠元も人柱または呪詛返しの防壁。
参考文献:『ムー』451号 学研
- 1612年、徳川家康が今川義元を弔うために創建。当初はホテルオークラのあたりに建てられた。
- 1641年、火事で焼け、その後、家光が高輪に再建。家光の命を受けて普請に当たったのが毛利、浅野、丹羽、朽木、水谷の5大名だった。この縁で浅野家の江戸での菩提寺となり、浅野内匠頭や赤穂四十七士も葬られることになった。
- 赤穂四十七士の泉岳寺への埋葬は徳川幕府による巧妙な仕掛け。浅野内匠頭と四十七士を同じ場所に葬ることで忠義の物語を強調。江戸の入口である泉岳寺で弔うことで、忠義の物語を全国に広め、人々に忠義の価値感を埋め込んだ。
参考文献:『日本史の謎は「地形」で解ける』 竹村公太郎 PHP研究所
- 忠臣蔵で有名な浅野内匠頭の墓や四十七士の墓などがある寺。
- 浅野は自分のくにもとに帰りたがっていたようだ。
- 赤穂義士記念館は少しヤバイかもしれない。揺れる感じがする。後ろから等身大の白い影がついてくる。むこうから波長を合わせてくるタイプなので危ない。この記念館は関東大震災で倒壊したものを改築したものだそうな。
参考文献:『闇の検証 第四巻』 「HONKOWA」編集部編 朝日新聞出版
泉岳寺へ行ってきました
港区にある泉岳寺へやってまいりました。
まあ、パワースポットとはちょっと違うような気もするんですけど、取り上げてしまったので、とりあえず寄ってみました。
なんでも赤穂浪士の墓があるお寺だそうな。
大石内蔵助良雄の像が建ってました。
この萬松山泉岳寺は、慶長17年(1612)、徳川家康が今川義元の菩提を弔うために創建したお寺だそうです。
もとは外桜田の地にあったそうですが、寛永18年(1641)に火災で焼失してしまい、三代将軍家光公の命により現在地に移転されたんだとか。
江戸時代には曹洞宗の江戸三ヶ寺の1つとして知られていたそうな。
しかし、第二次世界大戦の際に堂宇がほとんど焼失してしまったそうで、現在の本堂は昭和28年(1953)に再建されたものだそうです。
境内に「赤穂義士記念館」がありました。
私のリサーチによると、この記念館がヤバイらしいんですが、この日はすでに閉館してました。
ちょっと残念。
開館時間は9時~16時だそうです。
拝観料は大人1人500円です。
また来る機会があれば、入ってみたいと思います。
赤穂義士のお墓にも寄ってみました。
赤穂義士達は討ち入りを果たした後、細川家、松平家、毛利家、水野家の四家に預けられたそうで、お墓が預けられた家ごとに分けられて並んでいました。
写真は大石内蔵助さんのお墓です。
成仏してくだされ。
こちらは赤穂義士達の主君・浅野内匠頭のお墓です。
首荒い井戸なんてものがありました。
この井戸で吉良上野介の首を洗ったんだとか。
怖い。
「血染の石」「血染の梅」などという怖ろしげな名前の石と木もありました。
「田村邸内浅野公自刃の場に有りしものなり」だそうです。
怖い。
土産物屋では「切腹最中」なんてのも売っていました。
うーん、美味しそうなハラワタです。
まあ、パワースポットとはちょっと違うような気もするんですけど、取り上げてしまったので、とりあえず寄ってみました。
なんでも赤穂浪士の墓があるお寺だそうな。
大石内蔵助良雄の像が建ってました。
この萬松山泉岳寺は、慶長17年(1612)、徳川家康が今川義元の菩提を弔うために創建したお寺だそうです。
もとは外桜田の地にあったそうですが、寛永18年(1641)に火災で焼失してしまい、三代将軍家光公の命により現在地に移転されたんだとか。
江戸時代には曹洞宗の江戸三ヶ寺の1つとして知られていたそうな。
しかし、第二次世界大戦の際に堂宇がほとんど焼失してしまったそうで、現在の本堂は昭和28年(1953)に再建されたものだそうです。
境内に「赤穂義士記念館」がありました。
私のリサーチによると、この記念館がヤバイらしいんですが、この日はすでに閉館してました。
ちょっと残念。
開館時間は9時~16時だそうです。
拝観料は大人1人500円です。
また来る機会があれば、入ってみたいと思います。
赤穂義士のお墓にも寄ってみました。
赤穂義士達は討ち入りを果たした後、細川家、松平家、毛利家、水野家の四家に預けられたそうで、お墓が預けられた家ごとに分けられて並んでいました。
写真は大石内蔵助さんのお墓です。
成仏してくだされ。
こちらは赤穂義士達の主君・浅野内匠頭のお墓です。
首荒い井戸なんてものがありました。
この井戸で吉良上野介の首を洗ったんだとか。
怖い。
「血染の石」「血染の梅」などという怖ろしげな名前の石と木もありました。
「田村邸内浅野公自刃の場に有りしものなり」だそうです。
怖い。
土産物屋では「切腹最中」なんてのも売っていました。
うーん、美味しそうなハラワタです。